誰かの物語を未来へ繋げる 西フランス在住 絵画修復士 金杉亜希子
- 友里江 古谷
- 14 時間前
- 読了時間: 4分

様々な年代、様々な手法を用いた絵画が集まる金杉亜希子さんのアトリエ。
亜希子さんは絵画修復士として、これまでにたくさんの絵画を次の時代へと繋いできました。
あまり聞き馴染みのない、「絵画修復士」というお仕事。
今回は亜希子さんの実際のお仕事を拝見しながら、お話を伺いました。
「絵に触れたい」がはじまり
もともと日本では美術の専門学校に通い、ずっと絵を描いてきた亜希子さん。
でも画家として自分を前面に出すイメージは、どうしても持てなかったそう。

「画家って、自分を出す仕事じゃないですか。 みんなの前に自分をさらけ出す度胸が、自分にはあるのかなって思ってしまって」
そんなとき、テレビで観たのが、システィーナ礼拝堂での修復作業の様子。
古い絵に実際に触れ、少しずつ息を吹き返らせていく人たちの姿に、心を掴まれました。
「この仕事なら絵に触れられる!」
それが始まりでした。

油彩画の修復を専門に学ぶため、「これができるのはどこだろう」と考えたときに浮かんだのがフランス。
子どものころからヨーロッパの話、オペラの話を聞いて育ってきた背景もあって、「遠い国」という感覚はあまりなかったそうです。
インターネットも翻訳アプリもない時代。
「調べようにも調べられないから、怖いと感じる前に飛び込めたのかもしれない」と言います。
学び続けた8年間と、修復という仕事
フランスに来てまず2年間は語学学校へ。
その最後の1年は、語学の勉強を続けながら修復学校にも通いました。
その後は修復の学校に専念し、ヴェルサイユのアトリエでの研修、美術史やアートマーケットの勉強へと続きます。
「修復の学校って、美術史だけじゃなくて、科学や生物、絵画修復の歴史も学ぶんです。 扱うのはキャンバスだけじゃなく、木の板、鉄板、革、厚紙、家具まで。とにかく幅が広い仕事なんですよね」

気づけば、約8年間は“学生”として過ごしていた亜希子さん。
その間にも、アンティーク商やコレクターから小さな仕事をもらい、現場での経験を積み重ねていきました。
日常の中にある、絵と人の物語
現在、亜希子さんの依頼主の多くは個人。
代々受け継がれてきた肖像画、海の近くの町らしい“海の絵”のコレクション、自分で描いた思い出の絵など。

「フランスでは“家族の絵”を持っている方がすごく多いんです。 だからこそ、屋根裏から出てきたボロボロの絵でも、『祖先なので』って持ってこられる」
見えないほど汚れてしまったキャンバスを、少しずつ洗浄していく。
何もなかったはずの暗がりから、ふいに“目”が現れる瞬間もあると言います。

「修復は、お客さんとの二人三脚なんです。 どこまで戻すのか、どこに余白を残すのかも、一緒に話しながら決めていく。 だから、美術館よりも個人の方の仕事が好きなんです。人の歴史や、どれだけその絵を大切にしているかが伝わってくるから」
橋渡しをするだけ
修復の仕事は、「元の状態に戻す」ことだと思われがちですが、
実はもっと複雑で、亜希子さんの手元に来た時点で過去の修復が重なっている作品も少なくありません。
そうなると、まずは一旦白紙にする作業が必要。
そこからが、亜希子さんのいう「本当の修復」のスタートです。

「私が描き足した部分は、次の修復家が簡単に取り除けるものでなくてはいけない。だからサインもしません。
50年とか100年のあいだだけ私がバトンを預かって、次の世代に渡す。その中継点にいるだけなんです」

だから自分のことを「アーティスト」ではなく、「職人」と呼ぶ。
その言葉は決して謙遜ではなく、誇りに満ちた自己紹介に聞こえました。
繋げていく人生
絵画修復に加え、金継ぎや、ハンディキャップのある子どもたちのお世話もしてきた亜希子さん。
振り返ってみると、いつも「誰か」や「何か」を直したり、支えたりする役割を担ってきました。

好きなこと、興味や好奇心に正直であったからこそ開かれてきた道。
何も考えずに飛び込んだようでいて、その一歩がなければ出会えなかった絵や人が、確かにたくさんあります。
古い絵の中に眠る時間と物語を、次の世代へと受け渡していく人。
今日も静かなアトリエの片隅で、ただ静かに、絵と人と時間をそっと繋ぎ続けています。
写真・文 YURIE FURUYA
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